nohohontanuki’s blog

たぬき 家を作る

アナタ、何で航空会社を選びますか - 2

前回に引き続き たぬきの飛行機体験 聞きかじり の垂れ流しです







途上国の飛行機ってね、現地のヒトは 乗るだけで そりゃもー 大イベントなのよね

だからお相撲じゃないけど、なにやら沢山お土産をくれる時がある

かつての日本も、日付変更線を越えた記念の証明書とか出していたらしいし(笑)






中国で初めて国内線に乗った時は、ビニール製の写真ホルダーもらったなぁ

ほかにも色々、プラスチックの「くし」だのごそごそと・・・

どの路線でも必ずくれて、重宝したのがのど飴ですかねぇ

機内は乾燥しているからね

それに、離陸・着陸時の気圧の変化で耳が痛くなるけど

あめを舐めてるとちょっとだけ防げると思うんだ


いまじゃ、中国も先進国と変わらぬサービスですよ

ちょっと ツマンナイです








ほかの国の航空会社でも、こういうサービスを今でもやってるとこあります

定番は くし・歯ブラシ・アイマスク。

ほかに、靴下が入っている時もあるよ

スエット地で出来てる、靴下の上から履く室内履きみたいなヤツね。

機内でクツを脱いで、はいていると楽なんだけど

これは、イスラム圏に行く時、重宝なのだ^^

モスクって土足厳禁のとこ多くてね、そんな時これを履いて見学するのだよ

帰りに捨ててこれるし、ベンリー





たぬきがよく失敬するのが(笑) 機内食の時でる、コーヒーカップ

旅行中、紅茶や日本茶ティーバックを使う時に、

カップ2人分/ティーバック1個でちょうどいい

小さくてかさばらないし、プラスチックだから割れない

重ねて持ち歩き、ランチボックスになった時とか大活躍ですよ

帰路 機内に持ち込んで ちゃんと返却してきます^^;

最近、機内のカラトリーは使い捨てプラスチックのものが多いので、そういう時ももらっていきます^^

旅行中、くだものとか食べる時 便利でよい です





昔の中国にはね 「自由席」ってのもあった

窓際席は中国人が びっしり座ってたわ


でもそんなにインパクトなかったのは、

当時、「外国人は国家が招くお客様」みたいな空気があって

恥ずかしい姿は見せないぞ!って気迫がみなぎっててねぇ
(その分、中国人の素の姿が見えなかったとも言えるんだけど)

とりあえず、お上に怒られないように扱わなきゃって感じがしてた






それを一番感じたのは、蘭州 - 敦煌 間のフライトかな

小さいイリューシンは、途中給油しないと一気に飛べなかったのねー
(今じゃ、ジャンボジェットで北京-敦煌 一気に飛びます)

嘉峪関空港ってトコで給油したんだけどさ

コンクリつくりの平屋の建物に入れられ、給油しているとこさえ見せてくれない

外国人には、機密事項かもしれないものは、とりあえず見せないって方針だったみたい

この建物ってのが、トイレも壊れてて 「洋式便器に便座なし」だったよ

空気椅子でがんばりましたよ・・・

当然ながら、この空港 写真撮影禁止だったんだけどさ

怒られる前に 撮ったのが コレ  (すまして逃げた^^;)
イメージ 1

背景に雪をかぶった 祁連山脈 (きれんさんみゃく)

手前には複葉機(・・・まさか現役だったんじゃ・・・)



まあ、15年以上も前の話ですよ

中国の発展のスピードはすさまじいものがありますからね

日本が抜かれている部分も出てきていると思うんだよ

既に、上海じゃリニアモーターカーが実用されてるしね

ここもね 今じゃ、さぞかしキレイな空港になってるんじゃないかと思うよ

・・・でも、地方と都市部の格差は どーしてもあるからね

まあ、外国人観光客が入っていくほど有名なトコは、みんな整備されているだろうから

大丈夫だと思うよ、けいよいさん。



2004年に 九塞溝行く時、ドアなし・壁なしトイレ まだあったけど(笑)











自由席のキョーフは

その後、ウズベキスタンで味わいましたわ・・・









ソビエトの国々って、当時はまだ、新しい飛行機と古い飛行機が両方運航しててねぇ

前回書いたイリューシンらしき機体も現役だったんですよ



旅行社の手配ミス?で予定の飛行機に乗れなかった一行は、

飛べるトコまで飛行機で行き、あとはバスで走る・・・って行程だったの

ホントはカザフからウズベクまで、飛行機

だけど、カザフの国境近くの町までの飛行機に変更されたワケ


・・・・・ 国内線って ・・・・ すんごいわ ・・・・・


マッチ箱のような平屋の空港施設から

自力でスーツケースを持って ガラゴロと飛行機へ。。。

たどり着いた飛行機は、尾翼そばにドアが開いてて

ドアまでの高さは、1.5mほどあるでしょーか・・・

中にヒトが見えるのね

んで、その彼にスーツケースを渡して積み込んでもらえと・・・


20kgも担げるかぁぁぁぁぁ!


まぁ、添乗員さんがやってくれたけどね ツアー20名+自分の分を・・・

「添乗員さん、死なないでね」とマジで思いましたよ

ここでぎっくり腰やられたら、困るもん。。。





この時も、自由席だったんだけど、まあ空席も多かったし

国民性がのんびりしてるから、たいした問題にはならなかった、うん。








問題になったのは、帰路

首都であるタシケントを夕方飛び立ち、お隣の国のアルマアタへ 夜、到着

その翌朝 早くの便で 今度はアルマアタから モスクワへ行くはずだったの



タシケントで乗るはずの飛行機が居ない



待てど暮らせど、やってこない

「アルマアタから飛んでこなけりゃ乗れません」と言われ

ないもんは乗れないわなぁ・・・と空港でひたすら待機



空港のカウンターで、コリアンのおねーさんが怒りまくってましたが・・・・

我々は 元気だねーと座り込んで待ってましたよ



2時頃だったかしらん?

やっとこ飛行機が飛んできまして・・・

航空会社の人は、我々がアルマアタから乗り継いでモスクワに行くことを考慮して

出口のそばに固まって座らせようと、考えていたらしいのねー

だから、「先に日本人ツアー乗れ!」って呼ぶんだけど

あの怒ってたおねーさんや、その他コリアンのみなさん なんで日本人だけえこひいきだと お怒りで
中央アジアの国々には、ソ連時代に強制移住させられた朝鮮族の方々が沢山いるんですよ
 それで韓国との経済交流が盛んなんですよ)

飛行機のタラップを前に、蜂の巣つついたような大騒ぎですよ



嗚呼、自由席・・・



まあ、みなさんが座りたかったのは、ドアのそばじゃなかったらしく

その後もめませんでしたけどね




アルマアタに着いた時、朝日がキレーでしたわ・・・

モスクワに行く飛行機は、駐機場で

タラップ付けたままで待っててくれましたよ




乗り継ぎもね 特別扱いですよ

入国しないから、審査も何も・・・

荷物は 我々ツアーの物だけ別に、機体の下に並べてもらって

自分のがあるか確認して、

「あるよー、これだよー」と言うと

さあ、あれに乗るんだ! 行け!! と(笑)

滑走路 走らされました
(駐機エリアだろうけど・・・)





途上国で 飛行機の日程を詰めると こういう目にあいます。。。。






なかなか面白い体験でしたわ

添乗員さんは大変だなぁ

添乗員さんが居るからこそ、

たぬきは のほほ~んと「最後に日本に帰れれば問題なーし」と 思って居られるんだよ

フリーで旅行するヒト 大変でしょーねぇ?