nohohontanuki’s blog

たぬき 家を作る

~タイズ その2 2005年12月7日(水)

イメージ 1ザビードの町は、今までになく子どもが多かった・・・

ひとまず、町の中に9台の4WDは突入。
それだけで地元の人は「外人観光客」と判るだろう。
わ、わ、わーっと子どもに取り囲まれる。

中でも、右の子は私にぴったり張り付き「ママ」だのといろいろ言って抱きついてくる。多分前の旅行者が、彼にそう言って可愛がったのだろう。バジルの花を持ってきてくれたりサービス満点である。
たぬき、少々困惑・・・
案の定、最後におねだりをされたが、物が「フットボール・・・」
わたしゃ、サンタさんじゃないし~。そんなもの持ってないって!(笑)


世界最古の大学都市、ということだが。
正直、どれが大学だったのか記憶になーい!
暑いわ、子どもはまとわりつくわ、道は狭いわ。
道は砂より細かいふわふわの砂ホコリで、日焼け対策のスカーフを、ホコリよけにもするためにぐるぐるしたり・・・
(後で調べたら9世紀に出来たモスクが大学機能を持っていた、ということで。モスクは現在もあるんですがね。内部は見学出来ないのですよ。)
やっと落ち着いて観光できたのは、ある家の中庭に入った頃。
イメージ 2

イメージ 3中庭に面した建物の壁飾りが綺麗でした。
昔なんの建物だったのか、聞きそびれた・・
庭には、沢山の洗濯物が干してあり この家の主婦が家事をしていたよ。
→上の写真の内部
ここは男性用の居間だそう。
入り口を除く壁面にはぐるりと ウエストぐらいの高さのベンチような物が置いてある。
ベンチにしては 少々奥行きがあり カーペットが敷いてあり クッションが沢山。。
みな、この上にあぐらかいて座ったり、寝転がったりしてくつろぐんだそうな。
ちなみに、ちゃんと女性用の居間もあります。


イエメンでは、この妙に高いソファ(?)をよくみかける。
中近東ではよく見かけるチャイハネ(喫茶店)。
席はベッドのような物に、うすい布団やカーペット+クッションで、おじさん達の憩いの場になっているのだよね。
大抵は、木の下などの露天で、おじさん達は午後からのんびりしている、というイメージがある。
でも、イエメンのこの手の店は、昼は開店休業だ。
暑すぎるんである。
で、日が沈むと集まってくる。手にしているのはチャイより、カートだけどね。
店の前の露天には、ウエストより高いベッドのような席がたくさん置いてあるよ。
カーペットもクッションもなく、パイプベッドの骨組みに、
座るところは簡単に編んだネットみたいのになってる。
風通しよくして、太陽に暖められた地面から遠く離れたほうが涼しいんだろうねー。
イスラム国でお酒も飲めないし、社交の場なんでしょうなぁ・・・

町中を散策した後、昼食
レストランは、三方を漆喰を塗った土壁に囲まれ、屋根は枯れ枝で葺いてあるだけのところ。
地面むきだし。
でも、開いた一面は中庭になっているので、外の喧噪は聞こえずゆっくりできる。
イメージ 4メニューは
 スープ
 野菜と豆の煮物
 肉入りの煮物(香辛料の効いたトマト味シチュー?)
 大きな魚のグリル(香辛料が効いた丸焼き)
 オレンジ
魚の匂いに釣られたのか、3匹の猫が足下を歩き回っていたよ。



イメージ 5食後は、ザビードの町の城塞跡へ。
城塞はオスマントルコ統治時代のものだから、第一次大戦より前ですな。
(そうなんですよ。トルコってこんなとこまで支配していたんですよ。共和制になって、今の大きさになったんです。)
ここには、珍しく地元の観光客らしき女性4人が居ました。
(写真の黒ずくめの4名)
彼女らがのぞき込んでいるのはシバ王国時代の貯水トンネル。
シバ王国って、おおざっぱに言うと紀元前です。
時代が地層になってるんですなぁ・・・


ここから、また4WDで爆走。。
この日は名古屋から一人参加のおばさまと、たぬき母子の組み合わせでしたが。
おばさまのお話を聞いていると、突然ドライバー君(この日は若い子でした)。
「I love you」
とのたもーたのですよ。
一瞬、みな黙り込み。。爆笑。
(悪いとは思ったけどさぁ。しかし彼はいっこうに気にしていなかった・・・)
明らかに、私のトシを読み違えている。どう見ても彼はハタチそこそこ。
彼は告白は完了したと思ったのか、それから私と写真を撮りたがって、数回記念撮影したよ。

そんな車内でのハプニングのあと。
本物のハプニングが待っていました。

でもその前に、もう一カ所観光しましたよ。
モカ」です。
イメージ 6
そう、あのコーヒーのモカ
すっかり寂れて、今ではふつーの漁村。
その昔、コーヒーの原産国であったイエメンでは、コーヒーは焙煎してから輸出していたんだ。
そうすりゃ、他の国で芽を出さないからね。
独占できる、ってことです。
だから、この港はとても栄えていたの。コーヒーの名前は出荷している港の名前からきていたんだ。
で、コーヒーの皮(要は実の部分)はギシルという地元用の飲み物だったんだそうで。
(コーヒーはコーヒーの木の種の部分)
産地に近い所でしか飲めない物で、決して廃品利用ではなく、エジプトのスルタンとかも愛飲していたそう。
でも、ヨーロッパの植民地にタネを持って行かれて、すっかり負けてしまいました。
いまでは、イエメンで輸出用のコーヒーはほとんど作られていません。
ホテルのコーヒーもほぼネスカフェ
現在のモカに残る、往事の面影はこのモスクと商館地区の税関の建物だけです。
イメージ 7


さて、あとは本日の宿のあるタイズの街へ向かうのみ。
沿岸部から離れ、少し内陸に向かっていきます。


イメージ 8太陽が傾いた頃、突然車が止まったよ
なんでも、数台前にいた車両がパンクしたので、タイヤ交換だという。
ドライバーのあんちゃん、後続ドライバーに事情を説明に行くと・・・・

「お前の車も パンクしてんじゃないか~?」(多分こう言われたと思われる・・・)

マジですかい?。

たぬきはね、車の免許持ってない。
しかし、名古屋のおばさま曰く
「あんだけの砂の中走ってきて、よく事故にならなかった・・・」
そうなんですか??
あんちゃん、たぬき口説いてないで車の勉強しておくれ。
自分の商売道具なんだからさ。

地元の修理屋さんでタイヤ交換をしている間、たぬきは集落を散策したよ。
すると、一軒のおうちのドアから、女性が必死に手招きをしているではないか。
どうやら、めずらしい外人を家に招こうと思い立ったらしい。
こういうとき、ひとなつこい中近東の人々の人柄って嬉しくなる。
「友達も向こうにいるし」
と片言で断ると、身振りで
「みんな連れてこい」
大抵の家は最上階は応接間になっているのだが、そこへ来いとしきりという。
上からの眺めがいいから 写真を撮れと。
添乗員さんに聞きに戻ると、タイヤ交換は終わっていた。
ざんね~ん
お断りとお礼に戻り、持っていた飴を手渡すと
「じゃあ、せめてトイレでも使っていかないか?」と。

一般のお宅訪問のチャンスだったけど、ツアーの悲しさ。
おばあちゃん、おかあさん、おじょうちゃん。ありがとうね