nohohontanuki’s blog

たぬき 家を作る

やっぱり たぬきな親族

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テュラムさん ありがとう。


実は 2年ほどガンを患った父が 今月初めに永眠いたしました

私のブログには ほとんど登場しない父でした
沢山の悪行の為に
(お巡りさんにお世話になるタイプじゃないですよ~)
なんていうか 父娘の情愛的なモノが 蒸発してしまったのですねー

それでも 親子は、親子

一応 あれこれ 手配したり
私なりに 末期のことは したつもりですが
「孝行娘」では なかったです


そんな ドライな日々に 迷いがなかったか、と 問われれば
NO とは 言い切れない状態です

でも 後悔はしてない
したくない。




でも 初めて知った 介護保険のこと等
あまり知られていないけど 知らないと後悔すること 沢山あるんです
思い出したことから ポツポツ書いて行きたいと 思います

皆さんには 後悔してほしくないので。





と。 
シリアスな内容で 来ましたが。
タイトルと噛み合わなくなってしまうので・・・ 
無理やり 軌道修正したいと思いますw




本来 書くつもりだった 我が親族についてです

父方の先祖は なかなか景気の良い商売をやっていた時期もあったようですが
(明治頃?のハナシ)
どうも地に足つけた商売が苦手だったようで バーっと儲けると 手を広げ失敗・・・を繰り返し
祖父の時代には 町の仕立て屋さんになっていたようです

お寺さんとのお付き合いは 先祖が派手な生活をしていた頃に ランク?が上がってしまったのか
法外?な お布施を要求される様になり キレたじーちゃん(大伯父?)が
「そんなに払えるかー! 俺は今日から神道になる!」 と 言ったとか言わなかったとか。。。


とにかく それ以来 我が家は神道なんです。
個人的に 寺社巡りは好きですが
どこのお寺さんとも お付き合いありません
しかし 神社ともお付き合いありません、でした。



神道になったきっかけが そんなものなので
じーちゃんが 戦争の混乱期に病没しても 神道のしきたりを知っている家族がいなくて・・・
疎開先のお坊さんに 葬式を出してもらったんだそうで・・・ ハナシが違うじゃん~

それ以来
おじいちゃんも 大伯父も 大伯母も おばあちゃんも・・・
葬式は仏式だったらしいんです
そもそも 神道になった じーちゃん初め
神道の葬儀ってものを どうしたらよいか判らず・・・
その場で テキトーに葬儀社の方へ お願いしちゃってた っていうんですの・・・

我が家に祀られている おじいちゃん、おばあちゃん達は
私が物心ついたとき 位牌 というカタチでした・・・ どこが神道なんだ~

それを気にしていた祖母が亡くなった後
母が神社へお願いし 位牌から 御霊を移したのです



でもね。
子供の頃 大伯母が亡くなって1年くらいした時
家族が 「お線香の香りがする!」と 騒ぎ出し
御霊舎を 掃除して お線香を上げたら 「ニオイしなくなった・・・」と いう事件があり・・・
(御霊舎っての 仏壇代わりです)
神道はお線香 使わないものなんですけどね・・・
祀られてる方も、祀っている方も いい加減と いうことですな





そんな 親族でしたが
おばあちゃんが気にしていた、というのを
母たぬきは 守っていこうと。

はじめて 神式の葬場祭(葬儀)を したんですよ

そりゃもう 親族大騒ぎです
基本、お気楽たぬきの集まりなので のんき者が多いのですがねー
葬儀社の方が 会葬者の為に受付に置いてくれた 
玉串奉奠(タマグシホウテン)の仕方」を 誰かが見つけてきて
親族控え室にて ケンケンガクガク


「会葬者より先に 親族がやんなきゃいけないんだぞ!」 と みんな真剣。


まるで 発表会前のスピーチ練習でもしているかの様に
玉串奉奠の仕方」片手に ピーチクパーチク

誰かが 実際にやってみると いつもと違った真剣な眼差しで 確認し
自分もやりはじめたり・・・


ぜんぜん しんみり しないじゃん・・・


こういう兄弟だってのは 父が一番知っていて
また、父も率先して そういう兄弟を 煽るような人だったので
きっと へらへら笑いながら 一緒に見てるんだろうなぁと 思いましたよ

ま、思い出したように 目尻に涙を 浮かべる親族も 居るには居ましたが
この大騒ぎを それなりに楽しんで
久しぶりに集まった親族との交流を 喜んでいました
そして 恐らく 父も喜んでいたのでしょう

嗚呼 たぬき一族・・・



いとこ達も成人し 仕事を持って 会う機会もなくなっていたけど
みんなに会えてよかった